歩く速度に合わせた環境の重要性
カーフリーリゾート・ツェルマットより 2000年9月

薄 俊也 Shunya Susuki


  私がクローニック氏(ツェルマット村の助役代理)に「環境に関してどのような教育をしておられますか。」と尋ねると、次のような答えが返ってきた。

  「いろんな角度で教えています。センシビリティ(感受性)に訴えるかたちで、例えば最近は、自転車が早く走りすぎるのではないかということをテーマに話を しました。いろんな身近なことをテーマに話をします。」(通訳:ブルンネル 淑美さん:著書に「スイスからのメッセージ」)


道路の真中で遊ぶ子どもたち


  私は地球温暖化や大気汚染など地球規模の話があるのかと思っていた。それに反して、非常に身近な自転車の速度について話をされたので、戸惑いを覚えた。翌朝、環境とは身の回りのことであって、その身の回り の問題を一つ一つ片付けていけば、何も地球規模の問題にならないことに気がついた。
  この話をツェルマットの山田氏(ツェルマット在住13年環境カウンセラー)に話すと、「それは、人の歩く速度に合わせるということです。」と教えてもらった。


子どもたちが遊んでいる脇を通る電気トラック(日本なら子供たちは怒鳴られるところだが…)


 ツェルマット村は、全域が歩行者優先で、電気自動車(営業車のみで個人所有禁止:ガソリン車禁止)は遠慮がちに歩行者間を走っている。
 住みやすさとは、人の歩く速度が基準なのだ。

 ツェルマット村の住みやすさは、電気自動車の速度規制で保たれている。
 電気自動車でもスピードを出せば、ガソリン自動車と同様に交通事故は発生する。そのことを考えれば、ツェルマット村の交通規則時速20キロ以内は、非常に重要な規制である。(時速20キロ以内とは100m進むのに18秒以上かかることを意味する。)

  子供たちにとって、自動車の通過はまったくない方が良い。事実、ベニスのように一台の自 動車もない町が存在し、その町は非常に快適である。しかし、高齢化社会が訪れる日本において、全くの歩行のみというのは、現実性に乏しい。そこで、ツェルマット村のように小型電気自動車を時速20キロ以内で走らせることが有効と考えられる。そうすれば、ツェルマット村の子供たちと同様に日本の子供たちも安心して道路上で遊ぶことができる。


放課後、道路上で遊ぶ子どもたち(繁華街にあるバーンホフ通り)


  私は昭和29年の生まれで子供のころは自動車は少なく、よく道端で近所の子供たちと遊んだ。そして知らず知らずのうちに地域との関連性を学んだ。ところが、今の日本の道路はほとんど自動車に占領され、子供たちが道路上で遊ぶことは大変難しい。日本の子供たちにとって道路は自動車を避けて通り過ぎる移動空間でしかない。本 来、面状に広がるはずの遊びの行動範囲は点状に分散されている。それに対して、ツェルマット村の場合は、遊びの行動範囲は面状に広がり、村全体が子供たちの遊び場になっている。


いたずらグループが、まさに石を投げて逃げ出そうとしている瞬間

  ガソリン自動車を規制し、人の歩く速度を重視すれば、お年寄りは近所で遊ぶ子どもたちと のコミュニケーションの機会が増える。日本では核家族化しているために、お年寄りが子どもたちと接する機会が少ない。子供やお年寄りのことを考えると、少なくとも住宅地域においては、道路を自動車から取り戻す必要がある。


キック・ボードで遊ぶ子どもに話しかけているお年寄り


  歩けば、歩くだけ近所の人と顔を合わせる機会が増える。自動車で移動したら、立話はできない。今、地域でコミュニティ意識が失われているというが、その理由の一つに自家用車の利用があげられる。昔 は、近所に八百屋さん、魚屋さん、駄菓子屋さんなどがあった。そこまで、みんな歩いて買い物に行った。ところが、自動車が普及するに従って大型スーパーが 近郊にでき、近所の店は太刀打ちできず店をたたんでいった。近くに店がなくなれば、住民は遠くまで自動車を使って買い物に出かけなければならない。この悪循環が、自動車の利用を助長させ、交通事故の危険性を増し、さらに地域のコミュニティを弱体化させていった。

  歩行速度を重視することは、交通事故をなくすばかりでなく、人と人との触れ合う機会を増し、コミュニティを復活させる。
   そして、コミュニティの復活が地域の連帯感を強め、犯罪を防止する。−−(ツェルマッ村では、交通事故や犯罪がないそうです。)
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