ロボット白鳥と本物白鳥夫婦の出会い

アジア太平洋博覧会(よかトピア)の思い出:アジア太平洋ゾーンの運河より 1989年6月
(西日本新聞掲載)

経緯

最初、白鳥の夫婦は左写真の奥に見える巨大な鳥かご「バードカントリー」にいた。私はその白鳥を観察しながら、ロボット白鳥を完成させたが、同時期に彼らは他の鳥たちとの折り合いが悪く運河へ移されることになる。そこで、近隣の園児やジャーナリストの前で本物の白鳥夫婦と自作のロボット白鳥が対面する公式イベントへと発展した。

対面

ところが、白鳥夫婦は、ロボット白鳥が先に入水していたために運河をロボット白鳥の縄張りと勘違いし、入水後ロボット白鳥を見るや否や、終始逃げ回った。
(注) ロボット白鳥 : ボディは発砲スチロール、羽毛は脱脂綿、水中モータ4個を無線操縦
上下両写真とも(株)西日本新聞社記者 中島 邦之氏 撮影
3ヶ月後の再会
この運河で白鳥夫婦は3ヶ月間を過ごし、運河は彼らの縄張りとなっていた。

縄張りを守るために、彼らはロボット白鳥に対し首を後方に傾け威嚇のポーズをとった。

ところが、不思議にも、ロボット白鳥に5羽の子供たちを引き連れさせると、彼らの中、1羽は戦闘態勢から通常に戻った。

この直後、戦闘態勢のままの一羽がロボット白鳥の背中に襲いかかり、ロボット白鳥の配線を切った。

そのため、ロボット白鳥は操縦不能となり、運河を彷徨うことになる。

私は、ゴム長姿に着替え操縦不能のロボット白鳥を助けに運河に入ったが、足を滑らせ全身ずぶ濡れ。

今だに、ロボット白鳥に飛びかかったのは、雄だったのか、雌だったのか、わかっていない。



薄 俊也 (Shunya Susuki)



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